AGURIのページ


フラットコーテッドレトリーバーのあぐりとの暮らしは
2003年1月~2008年9月までの5年8ヶ月でした。
先代のWOWの後をうけて、きつつき工房でとても大きな存在でした。
きつつき工房にやってきてから彼女を送るまでの全ての記録を綴るページです

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2003年1月彦根さんちにあぐり参上!

あぐりは2002年8月に生まれました。
お母さんはライラ。
鳥取県の羽合温泉と言うところの
加藤さんが大切に育ててくれました。

次の年の1月まで
鳥取の実家で暮らしていました。
1月のある日
ひげのおじさんとその家族がやってきて、
あぐりはそのおうちにいくことになりました。

あぐりの育った加藤家は
みんな女の子ばっかりだったので
あぐりは男の人はにがてです。
こうやってお母さんを待っています。

時々鳥取に里帰りをします。
帰りに加藤さんはあぐりを抱っこして
「おりこうでいるんだよ」
といって涙を流していました。

ちっちゃなあぐりは
ぴょんぴょん跳ねるように走るので
「鹿のようだね」
と言われていました。

独りでお留守番するのが嫌で
「わんわん」泣いていると
お父さんの仕事場にあぐりのベッドを作って
毎日出かけていくことになりました。

あぐりはおなかを触ってもらうのが
だいすきです。
でも、お父さんの触り方は
ちょっとエッチです。

おねえちゃんが学校という所にいくので
あぐりはまいにち送り迎えをします。
とくにかえりのお迎えは楽しみです。
だって、みんながそろうから・・・

お母さんはあぐりの正面顔をみて
「ウシ」といいます。
そういわれているうちに「モー!」という
鳴き方を覚えました。

我が家はペンションなの「お客さん」という
いろいろな人がやってきます。
フォーク歌手の野田淳子さんだそうです。

暑いときは草の上で寝転ぶと
気持ちがいいよ

朝のお散歩の帰り
新聞を取ってきます。
おじいちゃんに渡してほめてもらいます。

あぐりのお誕生日
加藤さんから特製のあぐりシュークリームが
届きました。
みっちゃんにも分けてあげました。

9月の里帰り
右からカンター兄ちゃん・ペコおばちゃん
バッちゃんおばちゃん・あぐりです。
後は東郷池です。

「く、苦しい」
みッチャンはあぐりのライバルです。
車の中でのいい場所の取り合い
お母さんの奪い合い・・・・

あぐりのともだち
ダックスのチョコラ

フラット仲間のJIJIちゃんです

姫路のディックくんです

松本というところで開かれる
クラフトフェアというのに行きました。
新井さんというとてもやさしい
お父さんたちのお友達が来てくれました。

夜は近くのコテージで泊まりました。
長いこと車に乗っていたので
ちょっと疲れました。

翌日こんな大きな生き物に会いました。
あぐりと同じ犬だそうですが、
びっくりしました。

8月には淡路島というところに
キャンプに行きました。
お父さんたちはおうちを建てています。

おうちができました。
でも、ずっとここで暮らすのか
心配でした。

はじめて海を見ました。
お父さんが投げたひも付きのボールを
追いかけて思わず飛び込んでしまいましたが、
上手に泳げました。

あまり暑いので
こかげで涼んでいます。
黒いから暑いのは苦手です。

となりのおうちにいたミルクちゃん
やっぱり暑そうにしていましたが、
「あんたよりはらくだよ」といっていました。

鳴戸大橋の公園で変な穴に突っ込まれました。
こうなってたんだね。エライヤッチャ!
2004年

里帰りです
バッちゃんはあぐりを
とっても可愛がってくれます。
ほかの子にはこんなことさせないんだって

みんなで東郷池までお散歩にでかけます。
白と黄色と黒
三人そろうと三毛犬です。

「く、く、苦しい」
みッチャンよりかなりきついぞ!

雪が降るとうきうきします。
泳いでいるような感じで・・・
黒い体に白い雪の斑点がつくと
「ダルメシアン!」

暴れた後は
雪を食べると気持ちイインです。
つめたくって

春もいいな
向こうでおじいちゃんが
畑を耕しているんだよ。

お正月に大阪というところに行きました。
お父さんのお母さんだって

みっちゃんのいとこ
お父さんのお兄さんの家族も来て
とってもにぎやかでした。

おうちからあぐりのお布団を持っていったから
寝るときも安心!
でも周りはコンクリートばっかりで
おしっこができなーい!


前足のひじに
こんなものができたことがありました。

腫瘍の話

はじめは「タコ」かなと思っていた左肘のできものが、
だんだん大きくなってきて写真のようになりました。
お父さんは山根先生のところへあぐりを連れて行きました。
「検査をしてみないとわかりません」ということだったのですが、
検査に出すにも切らなくてはいけないので、すぐに「手術」ということになりました。
注射を打たれてマスクをしたら
何がなんだか分からなくなり、気がついたらお父さんの膝の上にねていました。
しばらく足がふらふらしていましたが20分ほどしたら歩けるようになりました。
あまり痛くは無かったけど、3針縫った傷口が気になります。

10日に抜糸をしましたが、ラブの赤ちゃんのジェントル君と走り回って遊んだので
傷口が開いてしまいました。
抜糸の後のほうが大変でした。

検査の結果「良性」だったのでよかったです。



みっちゃんのいとこのうちでも
ワンちゃんと暮らすことになりました。
この中の一人がそのルビーちゃんです。
もちろん加藤さんのところから

ルビーちゃんがやってきました。
妹ができたみたいで
あぐりもしっかりしなければ・・・

してはいけないこと
行ってはいけないところ
いろいろ教えてあげています。

ルビーちゃんは
なぜかちょっと小さなラブラドール
でもとってもやんちゃな子です。

桜の木の下で写真を撮りました。

いつものようにみっチャンは
あぐりの首に抱きつきます。

あぐりもずいぶん大きくなりました。
こうやって時々記念撮影をします。

お母さんとのツーショットはあまりないので
ちょっと緊張しています。

お仕事のベッドがこんなに小さくなりました。
このとき以来お仕事には行かなくなりました。
おへやでお留守番ができるようになりました?

テレビの番組で「
人生の楽園
というのがありますが、
その取材がありました。
あぐりも映るかなと
ちょっとよそ行きで構えていました。
アシスタントディレクターのお兄ちゃんが
面白くてよく遊びました。
遊んでいる間に撮影が終わっていました。
結局、あぐりの出番は
ぜんぜんありませんでした。

ショック!

放送があってからは
たくさんのお客さんがやってくるように
なりました。
お泊りのお客さんや
ちょっとのぞきに来ただけのひとや・・・

この年はそれが大忙しで
なつの旅行もありませんでした。
2005年

みッチャンが中学生になりました。
卓球を始めたそうで帰りが遅くなりました。
あぐりはちょっとつまらないです。

里帰りすると
黒いラブの子がいました。
黒は黒といっしょにいたがるんだって!

加藤さんちの新入り:バースデー
鳥取県警の嘱託警察犬です。
バッちゃんの後継ぎだそうです。
訓練、がんばっていました。

今年の夏はみんなで大山に行きました。
アスレチックで遊びました。

みッチャンはどんどんいってしまうので
お父さんとあぐりは一所懸命
追いかけました。

お泊りは「ジョー君ち」という
ペンションでした。庭にはドッグランがあり
プールもありました。
水が抜けていて泳げませんでした。

ひさしぶりののんびりなので
お部屋ではみんなでごろごろしました。

一緒にお泊りした大阪のお友達
何が気に入らないのか
ワンワン吠え付かれました。

ペンションの住人:ジョディーくん
大きなゴールデン君でしたが
やっぱり吠え付かれました。

きつつき工房もわんちゃんと一緒にお泊りできるようにしようかな?とお父さんが話していました。
あぐりも家族みんなでお出かけするのは大好きなので
そんなところがたくさんできればいいなと思います。



来年は犬の年だそうです。お母さんは「年賀状用の写真にする」と10月ごろから写真を撮り始めました。
「あぐりは黒いから難しい」といっています。(上の6枚はそのための写真です。)本当はもっとたくさん撮ったんだよ。


2006年
               

そして、お正月
年末には大雪で大変だったけど、みんな元気に新しい年を迎えました。今年はあぐりの年です。
(なぜかお父さんが席を立つとお父さんの座椅子にすわるあぐりです。)

年賀状に使われた「明日を見つめるあぐり」です。

あぐりの写真をうまく撮るには

1.背景は黒ではいけません。
2.かといって白でもいけません。
3.できるだけ近づいて大きく撮りましょう。
4.明るい太陽光の下で撮るのが良いでしょう。
5.フラッシュを使うのも効果的ですが、赤目補正(効果があるかどうか分かりませんが)を使ってみましょう。
6.暗いところではどっちを向いているかさえ分からなくなります。


以上が前回記したものですが、これに加えて

7.自然の緑を背景にすると良い
8.横顔を撮ると失敗が少ない。ただし、あくまでもシルエット的で表情がわかるという物ではない。


正面からアップで撮ると確かに表情は分かりますが、牛と間違える恐れがあります。

狂犬病予防接種及び畜犬登録

日本ではもうずいぶん前から狂犬病は発生していませんが、
世界的にはまだまだあるようで、幼犬の輸入自粛も求められているとも聞きます。
予防注射をしてきちっと登録をしてルールとマナーを守って、
犬たちと楽しく暮らしましょう。

フィラリア対策、蚤・マダニ対策もしっかりしてあげましょう。
8種混合ワクチンの接種も!


予防注射をしていない子はきつつき工房にはお泊りできません。
2008年  あぐり 逝く

2007年はみッちゃんの高校受験というのがあり、
今年はみッちゃんの高校入学
(寮生活から下宿そして体調を崩して通学に変わるなど)、
お父さんの工房の機械の故障・新機種導入、
パジェロミニの破壊(シャーシの腐食)・買い替え、
洗濯機の故障・買い替え、工房の新作開発作業などが重なり、
我が家は「激動」の年になったので、
あぐりのページの更新も滞ってしまっていました。

早くあぐりの様子を更新していこうと思っていた矢先、
あぐりが逝ってしまいました。

ここからは今年のあぐりの様子をお父さんがお伝えすることにします。

2006年 春

義理の弟の家(山森家)のルビー(ラブラドール)を預かることになりました。
姪の学校の関係で津山に転居したのですが、犬と暮らすことが認められていない借家だったものですから、
ワンチャンOKの家が見つかるまでということで家族が増えることになりました。
あぐりは我が家のしきたりや約束事を彼女なりに一所懸命教えてやっているようでした。
ルビーが粗相をしたときなどは教育係としての責任を感じてか、
あぐりのほうが小さくなっていることもありました。

ルビーの体調不良とあぐりの検診

小さいころから食が細く、よく吐き、下痢することも多かったルビーですが、
かなり調子を崩したことがありました。
家族のもとを離れ我が家に預けられたストレスもあったのでしょうが。
かかりつけの獣医さんに診てもらいに行った折にあぐりも同行し、
健康診断をかねて血液検査をしてもらいました。
その結果、軽い腎臓の機能障害と貧血傾向があると診断されました。
ルビーも腎臓障害と診断されました。
以後、腎臓サポートと貧血対策食に切り替え、
年に数回の検診を続けながらも元気に過ごすことができていました。
でも、気になるのは「偏食」と言っていいのか分かりませんが、
フードだけだとあまり食が進まず、風味を変えたり混ぜ物をしたりして、
食事の量を確保することが多くありました。

ルビーの死

2007年の7月、我が家は夏の繁忙期を迎える時期です。
体調不良のケアができないということでルビーは実家の加藤さんの家でお世話になることになりました。
少し寂しくなったのですが、逆にあぐりにとっては家族の思いを独占することができるようになったことが
嬉しかったかもしれません。
とりたててルビーがいなくなったことが生活に大きな変化をもたらしたということは感じませんでした。
ルビーとの暮らしは約1年2ヶ月でした。

一方山森家はようやくルビーと一緒に暮らせる家をみつけ、
10月に再び一緒に暮らせるようになり、本来の生活に戻りました。しかし思いのほか腎機能が低下していて、
尿毒症が現れ、容態が急変し、それから二月もたたないうちに帰らぬ子になってしまいました。
1年以上一緒暮らしたルビーの死は大きなショックでした。

そんなこともあってあぐりの健康状態については特に気を遣っていこうと思っていました。
年に数回の検診、腎臓・貧血対策食の継続で、腎機能も貧血も極端に悪化することも無く
2008年夏を迎えました。
夏のはじめの検診の時に「体重の増加と運動量の確保に気をつけるように」といわれていたものですから、
家内と一緒に良く歩いていました。家内もおかげで「締まってきたでしょう」というほどでした。

暑い夏、食欲不振、体重の増加?

今年の7月末は例年以上に蒸し暑く、涼しいはずの東粟倉でもクーラーをつける日が何日かあるほどでした。
私たち人間も食欲が落ち、ばて気味の状態でした。
もともと食の細いあぐりは更に食が細ります。
食事の時には家内が付きっ切りで励ましたり、
好きな物(獣医さんでもらったおやつなど)混ぜ物をしてやったりしながら、
あの手この手で食事の量の確保に努めていました。
獣医さんからは、体重の増加も気にしなくてはいけないので
無理に1日2食を確保することはない」と言われてもいたので、
2回の食事で1回分を確保することを最低の目標にしていました。
8月の10日ごろ、それほど食べているわけではないのに
「この頃太ってきたように感じるね。おかしいね。」と言うことでかかりつけの獣医さんを受診しました。
腎臓、貧血の数値は若干の改善が見られるが引き続きサポート食を続けること、
体重が増えているのでしっかり運動するようにという指示が出ました。
疑問に感じながらもお盆休みの最も忙しいペンションの暮らしですが、
夏休みの美月も一緒になってしっかり歩いていました。

最後の家族旅行

お盆の忙しさがひと段落した8月16日、思い立って家族旅行に出かける企画をしました。
    
旅館にて                美保関灯台にて

もちろんあぐりも一緒です。いろんなところを候補に上げましたが、
(美月の学校はすでに始まっていましたので)一泊しかできません。
近場でということで島根県の美保関へおいしい魚を食べに行くことになりました。
あぐりも泊まれる宿も見つかりました。
もし、可能ならば帰り道にあぐりの体の様子を加藤さんに見てもらえればという思惑もあったのですが
都合が合わず断念しました。

8月18日(月)昼前、出発 授業のあった美月を津山で拾って一路美保関へ。
4時頃には目的地に到着し、チェックインを済ませ美保関灯台へ散歩に出かけたりしました。
部屋は和室でしたが2部屋ぶち抜きの広い部屋で、あぐりも自由にしてよいと言うことでしたので、
みんなのびのびしていました。食事も個室であぐりも一緒。
ただ、食事のたびに乗らなくてはならないエレベーターが苦手のようで足を突っ張って抵抗していました。
その夜は、激しい雷雨でした。
雷が苦手のあぐりは家にいるときはベッドの下にもぐりこんで震えているのですが、
初めてのお宿ですから身の置き所がなく右往左往していました。
みんなが寝ている枕元や足元など布団を移動させては体をさすってやったりして安心させようとしましたが、
結局入り口に近い踏み込みで眠りました。(じゅうぶんに眠れたかどうか)

19日、みッちゃんとお母さんは松江で「崖の上のポニョ」の映画を観ることにしていました。
その間お父さんとあぐりは車にCDプレーヤーをつけるためにイエローハットへ行き、
さらに取り付け作業をしてもらっている間、直ぐ隣の運動公園で過ごすことにしました。
お天気はとても良かったのですが、適当な風があり、藤棚の下にいると全く汗をかくことも無く、
あぐりもハアハア言うことも無く快適に過ごせました。
近所の若いお母さんと子どもがあぐりのことや犬との暮らしについて
いろいろ話しかけてくださったこともあって、退屈することもありませんでした。
もちろんきれいな水もありました。

2時ごろ映画を観終わった二人と合流、おじいちゃんへのお土産を買いに境港までドライブ。
前夜のしけのためか定休日なのかなかなかおいしそうがお魚が見つからず、
ハマチ1匹GETするのに5時までかかってしまいました。一路家を目指して・・・。

旅行中、本当にゆっくり、じっくりあぐりを見つめましたが、
食欲が落ちているのに体(特におなか)が大きくなっているのは変だなと感じていました。
これは単に太っているのではないようだ、腹水が溜まってきているのではないかと・・・。

太りではなく、腹水

20日朝。あまりに気になったものですから、加藤さんに電話をかけて相談しました。
「エコーのある病院で診てもらったほうが良い」というアドバイスを受けて、
直ぐに津山の春名動物病院へ急ぎました。先代のWOWがお世話になっていた病院です。

結果は「明らかに腹水であり、エコーの結果何かが写っていて肝臓に病変を認められそうだが、
腹水がとても澄んでいるのが不思議。
腹水を今ぬくことでかえって腹水の溜まるのを助長する可能性もある。
血液検査の結果は腎機能の数値と貧血傾向はこれまでの検査とあまり変化はないが、
肝機能の数値がそれほど極端に悪いわけでもない。
不明な点が多いので、自分の出身大学である鳥取大学獣医学科付属病院で更に検査を受けることを進めます。
しかもなるべく早く」という木村医師の話でした。
話を進めていただくようにお願いすると、「明日9時に鳥取大学に来てください。私も同行します。」
という連絡が夜に入りました。
あぐりはおなかの毛を剃られてちょっと変な格好になっていました。検査に備えこの夜は絶食しました。

鳥取大学農学部付属動物病院へ

21日。お父さんと鳥大へ。春名動物病院の木村医師が迎えてくださった。
受付を済ませ順番を待っていると程なく実家の加藤さんも駆けつけてくださった。
検査は岡本教授以下びっくりするほどたくさんの若いスタッフがいる診察室で始まった。
木村医師から前日の検査での様子が報告され、私のほうからも最近の様子を伝えました。
エコー、レントゲン検査の結果は
「何かあるかもしれないが、特定できないのでCTスキャンをやってみます。
とのこと。しばらくして岡本教授が出てこられ「CTの映像でも悪いところがみつからない。
マスはないようだが・・・。もうひとつ腹腔鏡でおなかの中を見てみましょうか。
麻酔をしているのでこの際しっかり調べて見ましょう。」すでに正午を回っていました。
待合室では加藤さんと二人であぐりのこといっぱい話しました。
木村医師はその間ずっと検査に立ち会ってくださっていました。

2時近くになって岡本教授と木村医師が出てこられました。
「癌らしき物はみつからなかった、肝臓の状態が非常に悪くサンプルの細胞を少し取る作業でも
なかなか出血が止まらないほどでした。
肝臓の状態がもっとも重要な病変だと思われますが、
サンプルの細胞診の結果は来週にならないと分かりません。診たところ癌はないでしょう。
エコーに写っていた物はいわゆる浮腫です。」
3日間の絶対安静と止血剤、抗生物質を頂く。

検査に立ち会ってくださった木村医師は、
「癌は見つからなかったですが、あの肝臓はかなりひどい状態です。
何とか手立ての方法があればいいのだけれど・・・」と心配そうな表情を隠されませんでした。  
先代のWOWと壮絶な闘病生活を過ごし、
肝臓癌で無くした私には「癌でなくて少しほっとした」気持ちがありましたが・・・。

麻酔からまだ完全にさめていない状態でふらふらしながらあぐりがでてきました。
今後の治療の進め方については検査の結果を待って
大学病院と春名動物病院の木村医師の間で連絡を密に取りながら
木村医師のほうで取組んでいただくことになりました。

※ 木村医師はこの日お休みの日であるにもかかわらず、
病院としてではなく個人としてずっとお付き合いくだっさていたようです。

あぐりは腹帯をまかれ、痛々しい姿になっていました。
腹腔鏡は細い管とはいっても2センチほどの傷を3箇所縫っているそうでした。
肝臓、腎臓、胆のうを調べたそうです。

加藤さんと別れ、できるだけ衝撃を与えないよう丁寧な運転を心がけながら帰路に着きました。
あぐりはしんどそうに後部座席に横たわっていました。
家に帰るとあぐりはふらつきながらも一目散に二階の部屋へ上がっていきました。
「絶対安静」を家内に告げる間もなく・・・。

食事治療開始

食事は病院から勧められた肝臓サポート食が中心になりますが、
ナトリウムの少ない高たんぱくの食事がよいというので
家で工夫することにしました。
これまでも缶詰のフードはほとんど食べることが無かったので心配です。
でも今日は術後当日なので、食べることはできないでしょう。
徐々に麻酔から醒め、しっかりした顔に戻ってきますが、
とてもしんどそうですし、半日以上も検査のために一人にされたあぐりは
少々「お父さん不信」になっているようにも見えました。

22日 しっかり目覚めました。あまり傷の腹帯を気にすることもありません。
薬を飲むために缶詰フードを与えましたが食べようとはしません。
木村医師や加藤さんから進められた食材を使って作ることにしました。

主なメニュー 
ゆでた鳥のささみ肉を手で裂いて細かくした物、大好きなサツマイモのふかしたもの、
キャベツをゆでたものは自力で食べました。
フードは食べようとしないので卵黄を混ぜ流動食状にしたものを
スプーンで口にいれ食べさせるようにしました。
家内は食物栄養表のコンピューターソフトを使って、
食べても良さそうな食物の研究を始めました。
プレーンヨーグルト、小麦粉と水だけで作った実に不思議な味のパン、
おかゆ・・・。
一日1000キロカロリーを確保すること、
好んで食べてくれること・・・あれこれ工夫が始まりました。

23日 術後の診察
傷の様子、食事の具合、血液検査など 美月と一緒に
待合室でほかのワンチャンを見たり、行き来する看護婦さんをみたり・・・。
結構活気の感じられるあぐりでした。
もし食べが悪かったら家でも対応できるようにと、皮下点滴を教わった。
あぐりにとってはまたまた痛いことをする嫌なお父さんになってしまいました。
私にとっても、注射を打つのははじめての経験でしたが、嫌だとは言っておられません。
何しろ往復2時間少しかかる通院ですから、少しでも負担を少なくしてやるためにも・・・。

それから数日間、ささみ、イモ、キャベツは自力で食べていました。
フード(パンかおかゆ、卵黄を混ぜた物)ヨーグルトは介助で食べさせました。
薬もしっかり飲み続けました。1日3回の食事です。結構元気を取り戻したように見えました。
皮下点滴をする機会も無く内心ほっとしていました。
わずかな変化にも気付けるようにできるだけいつも誰かがそばにいてやるようにしました。
しかし、腹水はまた溜まってきたようです。巻かれた腹帯が苦しそうです。
検査の結果はなかなかでません。きちっとした治療の開始はいつになるのか?いらいらが募ってきます。

29日 検査の結果が届いたとの連絡 本格治療の開始
家内と3人で診察を受けに津山へ。
鳥取大学での検査結果は慢性化膿性腎盂腎炎及び胆汁うっ滞性肝炎ということでした。
悪性の腫瘍は無かったとのことです。この結果に春名動物病院の木村医師は納得いかない様子でした。
というのは胆のうは腹腔鏡での検査時に胆のうはほぼ正常であったと自分は判断したのだが・・・。
いずれにしても肝臓の状態はかなりひどいのでこの治療を優先して行う事になりました。
鳥取大から送られてきた腹腔鏡の映像も見せてくださいましたが、
肝臓はつるっとした状態ではなく錆びた包丁で切った牛レバーのようなざらざらした表面でした。
サンプルを採るために針のような物で突っつくのですが、
その部位から多量の出血も見られ、なかなか止血できなかったそうです。

内科的処置にて治療を進めるので、内服薬投与が中心になります。
ステロイド剤、抗生物質、利尿剤、整腸剤が処方されました。
これに加えて食事療法を続けることになりました。
あぐりの様子は比較的元気そうに見え、
診察室でも木村医師や看護士さんの動きをしっぽを振りながら立ち上がって見たり、
診察室内をうろうろすることもありました。
この日、腹腔鏡検査をしたときの抜糸(ホチキスの玉ようなもの)もしてもらい、
腹帯もはずれちょっとすっきりしました。

帰宅後、食事をしてさっそく薬の投与。しっかり飲んでくれました。

しかし、このときから目に見えて様子が変わってきました。8月31日には食べた物をもどし始めました。

9月1日 吐き気止め処方(私だけが病院へ)
ステロイド剤には嘔吐の副作用が出ることがあるとのこと、吐き気止めの薬が出ました。
加えて、食事がじゅうぶんに摂れない場合は以前に頂いていた皮下点滴を行ってください。
とのことでした。

9月1日 夕方、皮下点滴

前日の嘔吐以来、3回ほど続けて嘔吐がありました。無理に食べさせず、皮下点滴を打ちました。
うまく打てました。
夜排尿に出ようとすると、全く動こうとしません。
点滴を打っているし、水も良く飲んでいるので「おしっこ行こう」と促しましたが、
階段のうえで尻込みするのです。(初めての出来事でした。)抱きかかえて1階に下ろし、
外に出るとふらふらしているのです。食事が取れていないせいもあるのでしょうか。
※ 後になって考えたことですが、極度の貧血のためにくらくらしていたのかも知れません。

しかし、この様子やその後のあぐりの様子(ぐったり横になったままでたまに寝返りを打ったり、
水を飲みに行ったりするだけ)を観ていて、嫌な予感がしたので、
その夜は私がずっとおきて様子を見ていました。

9月2日 あぐりの逝った日

明け方になって美月を学校に送り出した後少し眠ってしまいました。
9時頃目を覚まし、食事と投薬に取り掛かろうとあぐりを見たとたん、「いけない!」と直感ました。
視線は力なく明るい窓のほうをみつめ、横になったまま動こうとしません。
吐き気止めの薬を含ませても、口を動かすこともありません。
確かに呼吸はしているのですが、呼びかけにも反応はほとんどない状態になっていました。

直ぐに病院の木村医師に連絡、指示を仰ぐことに。
「危険な状態ですね。無理かもしれないが、つれてこれたら直ぐにつれてきてください。」
じっと見ていていても何もできないし、もしだめな場合でも悔いを残したくないと話し合い、直ぐに出発。
担架で一階へ、担架の上でも動こうとしない。
車に乗せ動き始めると体を起こし、安心できる姿勢をとろうとする。
家内が横について、盛んに声をかけたり体をさすったりしています。
1分1秒を無駄にしたくないので、とにかく津山に向かって車を走らせました。
先代のWOWのお骨を入れたキーホルダーを握り
「まだ迎えに来てはいけないよ、そっちに行きかかってもまだ早いと言って追い返してね。」と祈った。

病院に着くと木村医師が車の中で処置ができるよう準備して待っていてくれていました。
血液の検査をするために針を刺すのだが血液が出てこない。血管に針が入ってるかどうかも確認できない。
車の中は身動きが取れないので直ぐに診察室へ。
血液を採取するだけでとても苦労しておられました。
ようやく少し取れた血液を検査にまわす。
極度の貧血状態に陥っているようなので、病院のワンチャンから輸血しようということになる。
しかし、手や足からではうまく血管に針が入っているかどうかも分からないのです。
血液検査の結果は直ぐに出て、腎機能の状態を示す数値が測定不能なほど上昇しているという。
診察台の上では体位の変換すら困難なので床におろし、大腿部内側に針を入れようと試みることに。

体位を変えたその瞬間、苦しそうに伸び上がり身もだえしたかと思うと、呼吸が停止しました。
「止まりましたね。」木村医師と目をあわせ、臨終かと聞こうとするが、
心臓は動いている。酸素吸入。直ぐに息を吹き返した。苦しそうに目を見開いている。
抱きしめ、語りかけ「しっかり!頑張れ!」の連呼。
酸素吸入、座薬の投与・・・。皮膚を切り、血管をさがし、点滴・・・。
また、呼吸停止。また直ぐに息を吹き返す。

決断 暮らしの中につれて帰る
すでに、輸血や検査の段階ではなくなっている。最後の時は直ぐそこまで来ていると感じました。
二度まではWOWが追い返してくれました。
そこは病院の床の上、さいわい昼の時間でもあったので他の患者はいません。
みんながあぐりに集中してくれています。
でも、最後のときをここで迎えさせたくはなかった。ずっと過ごしてきた家で送りたいと思いました。
木村医師にお願いをして、点滴(苦しみを軽減させるための物)も
車の中で続けられるようにしてもらいました。楽にしてやるための座薬も頂き・・・。

車に乗せようと担架の準備をしていると3度目の呼吸停止。
最初のときほど苦しそうな反応は見られませんでした。
また、WOWが追い返してくれたのか。3度目も息を吹き返しました。
あぐり自身、最後の力を振り絞って頑張っているように見えました。

止まった
挨拶も支払いもせず、家に向かって走り始めた。
後部座席を倒し、家内も一緒に横になりながら声をかけている。
何度も何度も生死の境をさまよっているようで、
「止まった?いやまだ大丈夫」という家内の声が何度か聞こえた。
家までの距離が4分の3くらいの勝央町の山の中を走っているとき、
小さな声で「今、止まった、本当に。心臓も」消え入りそうな声だった。
最後はひどい苦しみようではなく、静かにスーッとあぐりの命の火が消えた。

家まで待てなかった。美月の帰りを待てなかった。
でも、一刻も早くあぐりの家に帰ってやりたかった。車を止めることなく家まで帰った。  

後悔・詫び・感謝・祈り
緩んだ体から吹き出るように出ていたおしっこと、真っ黒なウンチの始末をして
いつも暮らしていた2階の部屋に横たえてやりました。
呼吸をしていないことが、心臓が動いていないことが
実感できないとてもきれいな寝顔でした。
氷の塊を抱かせてやり体をきれいに整え、毛づくろいもしてやりました。
家内は気丈に斎場の問合せやドライアイスの手配をしていました。
木村医師に連絡・・・。お礼を伝え、
加藤さんに連絡「あぐりが、あぐりが・・・」声になりませんでした。
花束を贈ってくださるとのこと。

鏡野町の静かな山里にある日蓮宗の無量寺というお寺で
葬儀を行うことにしました。9月3日15時から
日蓮宗は彦根家の宗派でもあり、人と同じようにねんごろに送ってくださるという。
ここは山森家のルビーを送ったお寺でもあったのです。

美月の帰宅、メールで知らせてはいたので知っていたのですが、
やはり涙で声がでない。生前よくなでてやっていたあごの下に手をやって・・・。
ドライアイスを買いに勝央町まで行った家内が帰ってきた7時頃にあぐりは硬くなり始めていました。
氷をドライアイスに変えて。実にきれいなあぐり。命が消えても本当に美しいあぐりでした。

それにしても家内は気丈であった。気丈だと思っていました。
夜中に目が覚めると家内がいない。ずっと明かりを灯しあぐりの横で添い寝をしてやっていたようです。
「あの時、あぐりの変化に気付いてやれなかった。もっと気をつけていてやれば・・・。ごめんね」
何度も何度も詫びていたようです。
「わたしが落ち込んだら、お父さんや美月が落ち込めないからね。」とさらりと言っていたのですが。

9月3日 別れの日

朝から葬儀の準備に追われました。
昨日プリントした遺影を額に入れたり、
一緒に焼いてやる品物を探したり、車の準備をしたり・・・。
美月は学校に行きました。
あぐりの葬儀には出たくても文化祭の準備でどうにもなりません。
せめて、火葬が終わった頃に学校に迎えに行き、
採骨は一緒にすることにしました。

昼過ぎ、出発 昨日病院から帰ってくる逆の道。
あぐりが逝ったその場所も通りました。
葬儀は全く人と同じように進めてくださった。
人と一緒に暮らしてきた動物たちを人と同じように送ってあげたいという気持ちから
檀家衆の同意も得て葬儀場と火葬場を作ったそうです。
小さな炉であったが、あぐりは無理なくちゃんとおさまりました。
読経がひびく。我が家の宗派なのですが、お経は全く知りません。
30分くらいの葬儀が終わり、おはらいをすませ、火葬に。
おはなやおやつみんな用意してありました。

最後の別れをして、炉の中へ。
点火の時に加藤さんにワン切りコールを入れる。
遠くからだけどそれを合図に手をあわせお線香を点てて下さると言う。
完全にお骨になるまで2時間位要する。

待ち時間 津山へ
春名動物病院へ昨日の報告と清算に。木村医師もショックだったようです。
美月と山森家で合流し、再び無量寺へ。
すでにあぐりは生前の姿をすべて脱ぎ捨てていました。
ていねいにていねいに大きな骨壷に残すことなくあぐりの全てを拾い集めました。
骨壷は、暖かかった。


ペットを人と一緒に葬るのはいけないことかと上人にたずねてみました。
「10人上人がいれば9人までが畜生と一緒に葬るのは良くないと言われるでしょう。
でも、私はそうは思いません。一緒に暮らしてきたワンチャンたちと一緒に葬られるほうが
ワンチャンたちも人も幸せなのではないでしょうか。」
実は、WOWのお骨もまだ納骨せずにいます。
私の墓がどうなるかまだ分かりませんので、私が死んだら一緒に葬ってもらおうと思っていたのです。
そんなお上人のはなしをきいてほっとしました。WOWもあぐりも私たちと一緒に入ります。

その後、そして

結局あぐりはなぜ逝ってしまったのか。
病名は先に書いたとおりですが、原因は何だったのか、直接の死因は?
というとはっきりしないことが多のです。

貧血傾向、腎不全、肝臓疾患・・・母犬の胎内にいたときに何らかの病気に感染したのかもしれない。
もって生まれたあぐりの弱さだったのかもしれない・・・原因は分からないままです。
また、急変してなくなることになった原因は、
極度の貧血(検査の祭に出血した物が止血していなかったのかもしれない。
血を作り出す機能が著しく低下していたのかもしれない。)
肝臓の治療を優先させたため、腎臓のケアが適当でなかったのかもしれない。
腎臓が・・・肝臓が・・・どちらが先で、どちらが重要で・・・分からないことばかりです。

それまでのかかりつけの獣医さんは、解剖してはっきり死因を特定することはしませんか、
とも言われました。でも、あぐりの体を傷つけたくなかった。
あぐりは8月13日に6歳になったばかりでした。WOWは9歳でした。
これをあまりにも早いと言うのかどうか分かりません。犬種による寿命の違いもあるようです。

私たち、犬たちと一緒に暮らす人間は長生きしてくれればいいに決まっています。
でもその期間の長さだけでははかれない無償の愛の通い合いがあると思います。
あぐりはWOWの3分の2でもなければWOWはあぐりの1.5倍でもないのですね。
あぐりとの暮らしも何者にも変えがたい、本当に素敵でした。
彼女が持っていた母性は私たち人の大人も豊かにやさしく包んでくれました。

友人で絵本作家(イラストレーター)のおかべりかさんは、あぐりの訃報に

「あぐりちゃんとの暮らしの中で、あぐりは絶対に幸せでした。
あぐりとくらした皆さんも絶対に幸せでした。絶対と言い切れるものだと思います。
人の関係には絶対という言葉は使えませんが・・・」


という言葉を送ってくださいました。私もそう思います。

もし、天国というところがあるのなら、
先に逝った母ライラ、先代のWOW、兄カンター、母のように育ててくれた警察犬バッちゃんと
楽しく走り回ってくれているであろうと祈りたいし、
これからの私たちの暮らしも見守っていてほしいと願いたいと思います。

あぐりが使っていた物、あぐりとの暮らしの証がいっぱいあります。
今も、入り口に鍵をかけ、ベッドから降りるときにはあぐりをふんずけないように気を付け、
思わずリードを手にする朝夕、あぐりの声が聞こえたり、
100メートル以上向こうの来客を知らせてくれていた感覚に呼び鈴がなって初めて来客に気付く不便さ、
彼女の体の感触、毛をよけて白い靴下を履く習慣、
あぐりが口にしてはいけないものを高いところにおく習慣・・・
まだまだ、9月2日までの暮らしのままです。

天使のようなあぐりとの暮らしが教えてくれた明るさ、私たちの暮らしに根付いています。
だから、わたしたちは大丈夫です。

あぐりを大切にかわいがって下さった皆さん、仲良くしてくださった皆さん
ほんとうに、ありがとうございました。

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